本日5月10日に、日本サッカー協会は6月7日からフランスで行われるワールドカップ(W杯)に挑む日本代表なでしこジャパンのメンバー23人を発表しました。
1次リーグは10日にアルゼンチン、14日スコッドランド、19日にイングランドと対戦します。
2011年ドイツ大会では米国を破り初優勝し、2015年カナダ大会では米国に敗れて準優勝という結果になっています。
今大会は2大会ぶりの優勝を目指します。
1人ずつメンバー紹介をしていこうと思い、今回は「鮫島彩」さんについて調べてみました。
鮫島彩のプロフィール!身長や体重は?
先日、高校女子サッカーに関するインタビューをしていただきました!
日本サッカー協会の公式サイトに記事が掲載されています。
第27回全日本高等学校女子サッカー選手権大会は1月3日開幕です!https://t.co/ttEv0qfLLu— 鮫島彩 (@sharkaya) 2018年12月26日
名前:鮫島彩(さめしま あや)
生年月日:1987年6月16日(2019年5月現在31歳)
出身地:栃木県河内郡川内町(現・宇都宮市)
身長:163cm
体重:53kg
血液型:A型
在籍チーム:INAC神戸レオネッサ
ポジション:MF、DF
2016年のなでしこジャパンの平均身長がおよそ163cmでしたので、鮫島彩選手はちょうど平均的な身長ですね。
体重も平均がおよそ55kgなので、やや軽いですがほぼ平均的な体重です。
サッカーではボールの競り合いの際、体格が良い方が有利なので鮫島彩選手は十分に競り合える体格をしていると言えますね。
鮫島彩の出身高校や大学は?
出身高校は常盤木学園高等学校です。
宮城県仙台市にある常盤木学園高等学校の女子サッカー部は、全国高校女子最多の計17回の優勝を果たすほどの強豪校です。
高校年代の大会とは別に日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)のチャレンジリーグ(3部相当)にも参加するほど、女子サッカーが有名な学校です。
鮫島彩選手は1年生からレギュラーで起用され、第14回全日本高等学校女子サッカー選手権大会では背番号10を背負い準優勝した経歴があります。
MFでスピードに乗ったドリブルが得意で、8度も全国大会に出場しました。
そのうち3度の準優勝を経験しています。
そのため高校女子サッカー界では有名な選手となり、U-18で初めて日本代表に選出されました。
大学へは進学せず、東京電力女子サッカー部マリーゼに加入します。
プロ契約ではなかったため、東京電力福島第一原発で事務員の仕事をしながら、女子サッカーチームで活躍しました。
鮫島彩の経歴
学生時代
小学校1年生でサッカーを始めました。
始めたきっかけは、「サッカーというより鬼ごっこ」のような雰囲気に惹かれたからだそうです。
当時、後に日本代表になる安藤梢さんが6年生の先輩にいたそうです。
ですが中学校時代は、サッカーチームとテニス部をかけもちしていたそうです。
サッカー選手になりたいという気持ちがそれほどなかったそうで、将来はサッカーを続けながら看護師になるのが夢だったようです。
しかし地元クラブの河内SCジュベニールに所属し、監督の阿満憲幸さんの指導のもと、才能を開花させました。
U-15の全国大会に出場するようになります。
その実力が実を結び、常盤木学園高等学校にサッカー留学しました。
そこで上記で紹介したような活躍を見せました。
東京電力マリーゼ
高校卒業後、東京電力女子サッカー部マリーゼに所属します。
U-20日本女子代表にも選出され、大活躍しました。
2007年にはディビジョン2シーズン最優秀選手賞(MVP)を獲得し、チームを優勝へ導きます。
2008年にはなでしこジャパンに初選出され、MFから左サイドバックにコンバートされました。
ボストン・ブレイカーズ
2011年の東日本大震災による影響で、マリーゼが活動を自粛します。
鮫島彩選手はサッカーを続けるか悩み、悩んだ末にWPSのボストン・ブレイカーズに移籍します。
東京電力でプレーしていたことで、国内移籍では受け入れチームに迷惑をかけてしまう恐れがあるため、当時マリーゼの監督であった菅野将晃さんが海外を薦めたそうです。
この年同じく栃木出身の安藤梢選手とともに、栃木県県民栄誉賞が授与されました。
モンペリエHSC
2011年9月に、フランスリーグ1部のモンペリエHSCと2年契約を結びます。
当時モンペリエHSCには宇津木瑠美選手も所属していました。
ですが長くは在籍せず、2012年6月で退団します。
べガルダ仙台
日本拠点を戻し、所属したのがベガルタ仙台レディースです。
2012年7月9日のことでした。
そして鮫島彩選手がチーム初のプロ契約選手となります。
同年、日本代表としてロンドンオリンピックに出場し、6試合中5試合で活躍のうえ銀メダルを獲得しました。
ですが翌年の2013年5月、右太腿の肉離れおよび腱損傷により全治約3ヵ月と診断されます。
2014年2月の日本代表合宿中に再び負傷し、ヒューストン・ダッシュへ半年間の移籍が決まっていたものの、契約まで及びませんでした。
ブログ更新しました。
『移籍のご報告。』
ベガルタ仙台のサポーターの皆様、本当にありがとうございました。http://t.co/Zj7s0Cgmcl— 鮫島彩 (@sharkaya) 2015年1月16日
INAC神戸レオネッサ
2015年1月にINAC神戸レオネッサに移籍しました。
もちろんプロ契約としての移籍であり、年末に行われた皇后杯で優勝し、自身初のクラブタイトルを獲得します。
2015年6月のワールドカップカナダ大会では、アメリカ代表に惜しくも敗れ大会連覇はなりませんでした。
ですがアメリカのスポーツ専門局ESPNは大会のベストイレブンに、日本から唯一鮫島彩選手を選出します。
準優勝ながらそれだけ鮫島彩選手の活躍が光っていたのでしょう。
2016年に日本代表に選出されましたが、チームは予選3位という結果で五輪に出場することができませんでした。
そして2016年、2017年と2年連続でリーグのベストイレブンに選出されました。
鮫島彩は結婚している?または彼氏はいるの?
実は以前、内田篤人選手と噂になったことがあります。
鮫島彩選手と内田篤人選手は一緒に契約する用具メーカー主催のサッカー教室に参加したことがあり、そこで2人の仲睦まじい姿が話題になり、2人は付き合っているのではないかと噂されるようになりました。
ですが内田篤人選手は幼馴染と結婚し、2人の関係は噂止まりになりました。
次に噂になったのが、一般男性のサーファーの彼氏がいたという噂です。
ですが根拠がなく、真偽は定かではありません。
次に話題になったのが川澄選手のブログです。
ブログ内で鮫島彩選手が結婚するという報告をしたのです!
ですが!!!
ただのドッキリで指輪のサイズが合っていない写真がアップされていました笑
これらの情報しかネット上にはありませんでした。
ですがこれだけ綺麗な方ですから、彼氏がいてもおかしくはありませんよね。
今はサッカーだけに集中したいのでしょうか。
まとめ
いかがだったでしょうか。
これから始まるワールドカップに向けて、鮫島彩選手の事をきちんと知った上で全力で応援しましょう!