安藤和津は妾の子?母親は元芸者で女将さんだった?

安藤和津は妾の子?母親は元芸者で女将さんだった?芸能
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安藤和津さんといえば祖父の犬養毅さんですね。

 

そんな安藤和津さんですが、実は妾の子として生まれているのです。

知らない人が多いのではないでしょうか。

また、安藤和津さんの母親・荻野昌子さんは元芸者さんであり、女将さんもやっていたそうです。

 

ということで今回は「安藤和津は妾の子?母親は元芸者で女将さんだった?」と題してまとめていきます。

 

安藤和津は妾の子として生まれていた

 

安藤和津さんの父親は「犬養健」さんで、母親が「荻野昌子」さんです。

犬養健さんは元総理大臣犬養毅の実の息子であり、三男として生まれました。

 

実は犬養健さんには当時「犬養仲子」さん、という本妻がいました。

1男1女に恵まれた家系を持っていたのです。

 

荻野昌子さんとは正式に婚姻関係がなく、妾という存在でありました。

 

その関係の中生まれたのが安藤和津さんです。

いわゆる「妾の子」ということです。

 

意外とこの事実は知られておらず、びっくりする人が多いのではないでしょうか。

 

安藤和津の母親・荻野昌子は芸者で女将?

 

安藤和津さんの母親「萩野昌子」さんは柳橋で芸者をしていたそうです。

そこで犬養健さんと出会い、知り合いました。

 

芸者を引退後、料亭で女将さんとして働いていたそうです。

 

安藤和津の母親・萩野昌子は芸者だった

柳橋はかつて、東京都台東区柳橋に存在した花街のことです。

花街ができたのが1842年頃と言われています。

明治時代では新興の新橋と共に「柳新二橋」と呼ばれていました。

 

1928年(昭和3年)には料理屋がおよそ60軒、芸者がおよそ360名にも及びとても賑わっていたそうです。

芸者の技能も高く、新橋演舞場や明治座に出演するなど活躍の場を広げていました。

あの”伊藤博文”も通っていたそうで、行きつけは「亀清楼」という料亭だったそうです。

1999年(平成11年)に最後の料亭が廃業し、柳橋の花街は終わってしまいました。

 

ちなみに芸者は、料理屋さんの酒宴の席でお客さんをもてなす人のことを言います。

歌や踊りをし、お客さんを楽しませていました。

 

荻野昌子さんは芸者として働いており、そこへ遊びに来た犬養健さんと知り合いました。

 

このようなお客さんをもてなす料理屋さんは敷居が高そうですよね。

そこで芸者として働く荻野昌子さんも、相当な技能と風貌を兼ね揃えていたのでしょう。

 

安藤和津の母親・萩野昌子は芸者から女将へ

安藤和津さんを生み、荻野昌子さんは芸者を引退しました。

 

その後、「をぎの」という料亭を経営する女将さんとして働きます。

 

芸者として人気があったとしても、料亭を経営する女将さんになるなんて、なりたくても中々なれなそうですよね。

 

芸者は自分1人で仕事ができますが、女将さんには経営力や指導力、周囲の人達を引き上げる上げる力が必要です。

荻野昌子さんはそれらを兼ね揃えていたのでしょう。

 

シングルマザーで安藤和津を育てる

 

荻野昌子さんは妾の存在であったため、女手一つで安藤和津さんを育てました。

しかし犬養健さんは安藤和津さんを子として認知しており、養育費等は貰っていたそうです。

お嬢様として育てられ、中学時代には3500万円もかけて世界一周旅行に行ったそうです。

 

当時の大学卒業の初任給がおよそ2万円だったそうで…現在のおよそ1/10程度です。

現代で例えると単純計算で、およそ3億5000万円をかけて世界一周旅行していたことになります!

犬養家系恐るべしですね…笑

 

まとめ

 

以上、「安藤和津は妾の子?母親は元芸者で女将さんだった?」と題してまとめましたが、いかがだったでしょうか?

 

安藤和津さんは妾の子であったのは事実でしたね。

 

また安藤和津さんの母親・荻野昌子さんは柳橋で芸者として働いており、そこへ遊びに来た犬養健さんと知り合いました。

そして安藤和津さんを産んでからは、「をぎの」という料亭を経営する女将さんとして働いていたことが分かりましたね。

 

 

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