”世界で60人”しか指名されることのない狭き門であるNBAに、1巡目指名(全体9位)を受けた八村塁。
その難易度はとても高く、米国内の高校でプレーしている選手のうち、NBAドラフトで指名される確率は0.03%(1万人に3人)と言われるほど。
そのため高校からではなく、大学からアメリカに渡った八村塁がNBAドラフトで指名を受けたのを”歴史的快挙”と言われるのも納得ですね。
八村塁のこれからの活躍や成績が楽しみです!
今回は、そんな八村塁が大学時代にバスケットボールを教わっていた”おじさん”について調べてみました。
この”おじさん”とは一体何者なのか、また大学時代の成績はどうだったのかについても詳しく調べてみたので、最後までお楽しみください!
八村塁が大学時代に教わっていたおじさんは誰?
ザイオンがいた全米最強のデューク大学に勝ったことあるゴンザガ大学のエースで、ドラフト9位で指名された八村塁もおるんやで#とりファン pic.twitter.com/NFNlaNmK5Y
— バタサク (@batasaku46) July 11, 2020
八村塁はゴンザガ大学のエースとして活躍していました。
その裏では、おじさんにバスケを教わっていたということで、一体そのおじさんは誰だったのでしょうか?
八村塁が教わっていたのは元NBA選手!
▪️1,504 games played in a Jazz uniform
▪️19 seasons in the league (16 playing 82 games)
▪️15,806 assists
▪️3,265 steals
▪️1 statueHappy birthday, John Stockton pic.twitter.com/ZnBxfRjM52
— utahjazz (@utahjazz) March 26, 2018
八村塁が、ゴンザガ大学時代にバスケを教わっていたという”おじさん”の正体は、
なんと、NBAのユタ・ジャズで活躍したジョン・ストックトンでした。
実はジョン・ストックトンもゴンザガ大学出身で、八村が進学を決めた2016年から「あのジョン・ストックトンの出身校であるゴンザガ大学に」と話題になっていたのです。
そんな縁もあってか、日本にいた時と同じように朝練のためゴンザガ大学の体育館へ行った八村塁は、レジェンドのジョン・ストックトンからバスケを教わったのだそう。
八村塁は中学時代の恩師である坂本にもその話をしており、「驚くほど上手いおじさんがいる」と話していたようです。
これを機に、八村塁はジョン・ストックトンからバスケを教わるようになり、主にパスを中心に伝授されました。
ジョン・ストックトンのプロフィール
On February 1, 1995, Jazz guard John Stockton broke Magic Johnson's assist record to become the NBA's all-time leader.
Stockton would go on to tally 5,884 more assists in his career for a total of 15,806—a number unlikely to be matched.#TakeNote | #NBAAssistWeek pic.twitter.com/PKUq6pcS1E
— utahjazz (@utahjazz) August 10, 2018
まず、ジョン・ストックトンの簡単なプロフィールは以下の通り。
- 名前:John Houston Stockton
- 生年月日:1962年3月26日
- 出身地:ワシントン州スポケーン
- 身長:185cm
- 体重:80kg
- ポジション:PG
- 背番号:12(ユタ・ジャズ永久欠番)
NBA殿堂入りしていて、キャリア通算アシスト数とスティール数でNBA歴代1位の記録を持ち、史上屈指のPGの1人と言われるレジェンドプレイヤーのジョン・ストックトン。
しかしそんなジョン・ストックトンですが、ドラフト前は全くの無名だったため、「まさかドラフトされるとは思っていなかった」と語っています。
そのため、1巡目16位でユタ・ジャズから指名を受けたジョン・ストックトンは、電話をかけてきたドラフト中継の解説者から「世間ではブーイングではなく、フーイング(who)だ」と言われるほどの無名プレイヤーだったそう。
ジョン・ストックトンの凄さ
Is John Stockton still one of the most under-appreciated players in NBA history?
🏀: https://t.co/ens2QwwLsT pic.twitter.com/agtcfIKUcb
— NBA Australia (@NBA_AU) May 17, 2020
そんなジョン・ストックトンですが、4シーズン目になり頭角を現し始め、1試合平均13.8アシストを記録してアシスト王を獲得します。
それ以降、9年連続アシスト王に輝いています。
その中でも、1989-1990シーズンの1試合平均14.5アシストは、現在でもNBA歴代最高記録です。
特段運動能力が高かったわけではないジョン・ストックトンの特徴は、視野が非常に広いことで、コート全体の状況把握能力が飛び切り高かったです。
その正確さは「まるでインカムを使って選手に指示を出している」とのジョークが生まれたほどで、コート全体を把握できる広い視野により正確なパスでアシストを量産しました。
さらに、185cm、80kgと決して大柄ではないジョン・ストックトンですが、非常に優秀なディフェンダーでもありました。
臨機応変に相手をマークし、タイトなディフェンスから生み出されるスティールでチームを幾度も救いました。
その凄さは、彼の残した通算スティール数3265(歴代1位)という数字からも見て取れます。
ジョン・ストックトンは、フリーでパスを貰えば確実にジャンパーを決める能力にも長けていて、3ポイントシュートの確率もリーグ入りから最初の3年を除くと、平均40%以上の正確さでした。
また故障がとても少ない選手でもあり、NBAで活躍した19シーズンのキャリアを通して17シーズンは欠場なし、加えて609試合連続先発出場のNBA記録も持つ、まさにレジェンドプレイヤーなのです。
ジョン・ストックトンは性格が悪かった⁉
洒落っ気が全くない髪型に田舎の実直な青年のような容姿で、温厚な性格の持ち主だと言われるジョン・ストックトン。
ところがそのような印象とは裏腹に、選手間では『影のダーティー・プレイヤー』として名高かったのです。
というのも、実はオンコートでのジョン・ストックトンは非常に気が強く、審判の目を盗んでユニフォームを掴んだり、エルボーを打ち込むのは日常茶飯事。
このようにラフプレーが多く、ファウルを貰うのも上手かったため、あのデニス・ロッドマンですら「NBAで1番汚いガード」とコメントしました。
オンコートでのジョン・ストックトンは、普段の温厚さとは真逆で闘争心に溢れていたのですね。
八村塁の大学時代の成績は?
八村塁の大学時代の成績はどうだったのでしょうか?
驚くほど上手いおじさんである、ジョン・ストックトンから教わった結果を見ていきましょう!
ゴンザガ大学1年生
U-17世界選手権での活躍や、ジョーダン・ブランド・クラシックでのプレイを高く評価された八村塁は、アリゾナ大学、アイオワ州立大学、ルイジアナ州立大学など、NCAA D1の複数の大学から勧誘を受けました。
アリゾナ大学と悩んだものの、最終的にはゴンザガ大学の選手やスタッフ、海外出身プレイヤーの活躍からゴンザガ大学を選びました。
ゴンザガ大学1年生となった八村塁は、アメリカの学生生活や英語でのコミュニケーション能力を考慮して、レッドシャツにするという選択肢もありましたが、選手登録を選択します。
八村塁はその当時のインタビューにて、「1年間ずっとベンチに座っているよりは、試合に出れなくても気持ちの準備だけでもしたい。」と語りました。
実際に1年生で試合に出れたのはほんのわずかの時間でしたが、豪快なダンクやブロックなど、潜在能力の高さを存分に見せつけます。
八村塁の大学1年目は、1試合平均4.6分の出場で2.6得点、1.4リバウンドを記録しました。
U-19世界選手権
八村塁は大学1年生のオフシーズンに当たる2017年7月、日本代表として『U-19世界選手権』に出場します。
チームの大黒柱として日本代表を支えた八村塁は、過去最高成績となるトップ10へと導きます。
個人成績でも平均20.6得点(大会2位)を挙げ、U-17世界選手権に続いて同世代での実力は、世界トップクラスにあることを示しました。
U-19世界選手権での八村塁の成績は以下の通り。
- 得点:20.6(大会2位)
- リバウンド:11(3位)
- ブロック:1.4(5位タイ)
- FG:48%(10位)
- FT:75.5%(6位)
こうして見てみると、いかに八村塁が大黒柱としてチームを引っ張り、自らも活躍したかがわかりますね。
ゴンザガ大学2年生
大学2年生となった八村塁は、チームでより重要な役割を任されるように。
スターターの2試合を含む37試合に出場し、平均20.6分の出場で11.6得点、4.7リバウンドを記録します。
NCAAトーナメントでは、2回戦のオハイオ州立大学との試合でベンチスタートながらも、25得点、4ブロックの活躍にてチームを勝利に導きます。
続く3回戦のフロリダ州立大学との試合では、キリアン・ティリーの怪我によりスターターとして起用され、16得点、9リバウンド、2ブロックを記録しました。
ところが、相手選手の高さを生かしたブロックに苦戦したゴンザガ大学は惜しくも敗れ、2年連続のエリート8(ベスト8)進出にはなりませんでした。
●ゴンザガ大学60-75フロリダ州立大学〇
ゴンザガ大学3年生
I’m a Wizard now!! #DCFamily pic.twitter.com/C4TsYQKDR7
— Rui “Louis” Hachimura 八村 塁 (@rui_8mura) June 21, 2019
大学3年生になった八村塁は、エースとしてチームを牽引するようになります。
2018年11月に行われたマウイ・インビテーショナルでは、ザイオン・ウィリアムソン(ドラフ全体ト1位)、RJ・バレット(ドラフト全体3位)、キャメロン・レディッシュ(ドラフト全体10位)ら率いるデューク大学を打ち破りました。
そして八村塁は、大会MVPに選ばれます。
その後のNCAAトーナメントでは、優勝候補として期待されたゴンザガ大学。
エリート8(ベスト8)でのテキサス工科大学との試合で、八村塁は22得点、6リバウンドという活躍を収めるも一歩及ばず、テキサス工科大学に敗れ幕を閉じました。
●ゴンザガ大学69-75テキサス工科大学〇
悔しい思いをした八村塁でしたが、シーズンを通しての活躍が認められ、大学ナンバー1のスモールフォワードに送られるジュリアス・アービング賞を受賞します。
2019年4月16日に八村塁は、NBAドラフトへのアーリーエントリーを表明しました。
アーリーエントリーとは
通常ならば、有望選手は成長が見込まれ評価の上がる下級生のうちにエントリーすることが多く、八村塁のように3年生を終えてエントリーするのは遅いとされているのです。
例えば、八村塁と同じくNBAドラフト2019で全体1位指名を受けたザイオン・ウィリアムソン(デューク大学)は、1年生を終えてエントリーしました。
しかし、英語も話せないまま渡米した八村塁にとって、ゴンザガ大学での3年間は必要な時間だったと語りました。
八村塁はこの3年間でバスケのトレーニングのほかに、ESL(English as a second language)で英語を学び、宿題や家庭教師との勉強のすべてをこなしてみせたのです。
いかに八村塁が、たゆまぬ努力をしてNBAへの切符を掴み取ったかがわかりますね!
まとめ
今回は、八村塁が大学時代にバスケを教わっていた”おじさん”について詳しく調べてみました。
まさかそのおじさんが殿堂入りを果たしている、NBAレジェンドプレイヤーのジョン・ストックトンだとは驚きました!
もしあの時代に『神様』マイケル・ジョーダンがいなければ、ジョン・ストックトン率いるユタ・ジャズも、NBAチャンピオンに輝いていたこと間違いないでしょう。
そんなレジェンドプレイヤーから直々にバスケを教われるとは、八村塁にとってもこの上ない幸せだったに違いないと思います。
また、八村塁の大学時代の成績についても調べてみました。
ゴンザガ大学での3年間で完璧に英語を習得し、ベンチスタートだった彼がいつしかチームを引っ張るエースにまで上り詰めました。
強豪校でのエースになるだけでもとてつもない努力が必須なはずなのに、そのうえで全く話せなかった英語をネイティブレベルまで習得してしまうとは、八村塁の見えない努力が感じられます。
八村塁のこれからの活躍に、ますます注目していきたいですね!