日本の長編アニメーションの中でも圧倒的な人気を誇る『千と千尋の神隠し』(2001年)に登場する特異なキャラクターの釜爺。
蜘蛛を思わせる外見と、ドスのきいた声、ツルツル頭にサングラスといった風貌で、見るからに不気味で怖そうな雰囲気のある釜爺ですが、千尋に対しては優しい一面をのぞかせます。
石炭を運ぶススワタリたちを怒鳴りながらも使いこなし、千尋に厳しいリンにはイモリの黒焼きを与えて手なずけます。
そんな釜爺が千尋になぜ優しいのか、そこには理由があるかと思われます。
『千と千尋の神隠し』の中でも異彩を放つキャラクター、釜爺が千尋になぜ優しいのか、その理由は何なのか、考察してみたいと思います。
釜爺は千尋に対してなぜ優しいの?その理由について徹底解説!
小さい頃から何度も観ていて、流し見程度になっていた千と千尋の神隠しを映画館で鑑賞して初めて気付いた……
釜爺って普通の足あったんだ……浮いてる…… pic.twitter.com/mVHv2gbzHV— 白湯 (@____hoshikuzu_) July 29, 2020
釜爺が千尋に対してなぜ優しいのか、考えられる理由として4つ挙げてみました。
- ① 孫のように思った
- ② 弱い者を助けたい
- ③ 千尋の純粋さに惹かれた
- ④ 自分の子どもを失った経験がある
それでは、一つずつ見ていきましょう。
① 孫のように思った
千と千尋の神隠しを映画館で観てきました🤓
忘れてました釜爺の声聞いた時に力強くも優しい(故人)菅原 文太さんの声を劇場の音響設備で聴けて感激しました😂
人間の子で瘦せっぽちの千尋に「🪨手だすなら終いまでやれ🔥」「えんがちょ🤞えんがちょ🤞切った✋」😆等面倒見が良いリンも良かったなぁ😊 pic.twitter.com/V7y6Jg2Pah
— はむろ~ぐ・ワン (@ham_roge1) July 22, 2020
釜爺が千尋に対してなぜ優しいのか、考えられる理由1つ目は、孫のように思ったからです。
「わしの孫だ!」、これは釜爺自身が述べている言葉で、ボイラー室へ入り込んだ千尋を追いかけてきたリンに対して放ったセリフです。
もちろん、千尋は孫ではありませんし、あきらかな人間としての千尋が“クモ男爵”のような釜爺の孫であるわけはないのですから、ウソと判っていながらもリンは納得してしまいます。
わしの孫だ、と釜爺の口から咄嗟に出たのは、一瞬にして千尋への愛情が噴き出したものと考えて間違いはないと思います。
この言葉は、懐疑的なリンの口を封じ込めたのと同時に、こんな孫が欲しいと願う、あるいは願っていた釜爺という老人の純粋な気持ちでもあったのでしょう。
② 弱い者を助けたい
釜爺が千尋に対してなぜ優しいのか、考えられる理由2つ目は、弱い者を助けたいと思ったからです。
見るからに弱々しく、頼りなげな千尋の姿は、ぶっきらぼうで職人気質の釜爺にはなんとなく鬱陶しく思えたかもしれません。
しかし、その反面、人間というのは(釜爺は人間ではありませんが)弱い者をかばってやろうという気持ちが働くものです。
捨てられて、寒さに震える子猫を見て、黙って通り過ぎることはできないのと同じように、このときの釜爺の心境はそんなところにあるようにも思えます。
もちろん、松尾芭蕉のような厳しい人生哲学を持った人なら、捨てられた子猫を一瞥しただけで黙って通り過ぎてしまうでしょうし、冷たい心の持ち主であれば、なおのことです。
怖そうな外見に隠された優しさは、その後、湯婆婆のもとへ向かおうとする千尋に親指を突き立て、「グッドラック」と言葉をかける姿によく表されています。
何気ない一言ですが、怖そうな顔とダミ声で言った言葉だけに、大きな愛情と独特のユーモアを持った釜爺の優しさが伝わってきます。
③ 千尋の純粋さに惹かれた
千と千尋の神隠しの釜爺 pic.twitter.com/oLpxVSHh28
— ジブリがいっぱい (@dydhfddhf1) December 30, 2021
釜爺が千尋に対してなぜ優しいのか、考えられる理由3つ目は、千尋の純粋さに惹かれたからです。
湯婆婆に仕える美少年のハクは、魔法使いになるため油屋(湯屋)へやって来たころ釜爺と出会い、魔法使いの弟子になったってロクなことはない、と諭されています。
そのことからも、未熟な若者に対する釜爺の気遣いや優しさが分かるのと同時に、若者特有の純粋さを愛する気持ちがあるのだと思います。
『千と千尋の神隠し』は荻野千尋の成長物語でもあり、無気力でドンくさい女の子である千尋の中に隠された強さや純粋さを描いた物語でもあります。
釜爺という老人が初めて見た千尋は、頼りないほど弱々しい少女にすぎませんでしたが、その中にある純粋さを見抜き、惹かれたのだと思います。
それはハクに対するのと同じように、純粋さへの憧れが、この老人の心のどこかにあるのでしょう。
龍になって傷ついたハクの体を案じる千尋は、ハクを助けるため湯婆婆の双子の姉、銭婆のもとへ行くと言い出しますが、リンにはその気持ちが理解できません。
そのリンに釜爺は、「わからんのか、愛だ、愛!」と言ってのけます。
愛の定義は自己犠牲ですが、危険とされる魔女、銭婆のもとへ行こうとする千尋の行為はまさに愛と呼べるもので、そういった純粋性を持つ千尋に惹かれたのだと思います。
④ 自分の子どもを失った経験がある
釜爺が千尋に対してなぜ優しいのか、考えられる理由4つ目は、自分の子供を失った経験があるからです。
自分の子どもを失うことほど辛いことはありません。
大きくなって成長した子どもであってもそうですが、幼いころに亡くした子どもの思い出は消えることなく、いつまでも心の中に住み続けています。
釜爺が千尋に優しいのは、もしかすると子どもを亡くした経験がそうさせるのかもしれません。
釜爺の過去については一切語られていないので、想像するしかないのですが、上記に挙げた内容から推察すると、自分の子どもを失った経験があるのではないか、ということも考えられます。
自分の子どもを亡くし、その子が生きていれば、千尋のような子ども(釜爺にとっては孫)がいても不思議ではない、そのため、わしの孫だ、という言葉が飛び出したのではないでしょうか。
どことなく孤独の陰を持っている釜爺の雰囲気から、そんなことも考えられるかと思います。
まとめ
釜爺は千尋に対してなぜ優しいの?その理由について徹底解説! ということで、いろいろみてきましたが、いかがだったでしょうか。
- ① 孫のように思った
- ② 弱い者を助けたい
- ③ 千尋の純粋さに惹かれた
- ④ 自分の子どもを失った経験がある
人は見かけによらぬもの、と言いますが、その不気味な外見から、とても怖い老人の印象のある釜爺、しかし、その心の中は愛情にあふれた情け深い人であることが判ります。
釜爺の声を担当したのは菅原文太。
戦後日本の裏社会を描いた実録もの『仁義なき戦い』(1973年, 昭和48年)で主演の菅原文太の印象は鮮烈で、『仁義なき戦い』はシリーズ化され、菅原文太は東映の看板スターとなっていきます。
当時はまだ任侠映画も盛んで、任侠映画では高倉健、現代ヤクザでは菅原文太、といった分けられ方もしていました。
釜爺で印象的な場面は、リンにイモリの黒焼きを与えて手なずけてしまうシーンで、桂米朝の落語『いもりの黒焼き』にもあるように、イモリの黒焼きは一種の媚薬で、惚れ薬とも言われます。
もらったリンは目を輝かして喜んでいて、それをどんなふうに使うのか分かりませんが、薬湯の生薬に精通している釜爺らしい手なずけ方ですね。
ちなみに、釜爺の姿は蜘蛛によく似ていますが、モデルとなったのは蜘蛛ではなく“ザトウムシ”のようです。
長い脚で前を探りながら歩く様子から、座頭(杖を頼りに歩く目の不自由な按摩師など)の名前が付き、釜爺もサングラスをかけ、目が悪そうですから、やはりザトウムシかも、ですね。
外見はともかく、愛だ、愛! と言い放つ釜爺には優しさと共に、繊細なロマンティストの一面もあるようです。