スラムダンクの中でも最も知名度の高いセリフである、「安西先生、バスケがしたいです」は誰しもが1度は耳にしたことがあるでしょう。
これは不良からの再起を誓った三井寿が安西先生に本音を打ち明けたワンシーンでしたが、そもそも三井寿がグレた理由は何だったのか気になりますよね。
中学時代には県大会のMVPに選ばれ、将来を有望される天才シューターだったのにも関わらず、なぜ三井寿は不良になってしまったのでしょうか。
ということで、今回はスラムダンクの三井寿がグレた理由から、なぜ不良になってしまったのかについて徹底解説していきます!
三井寿がグレた理由とは!なぜ不良に!?
みっちー嫌いなやつなんているんか?#スラダン#ミッチー pic.twitter.com/MWjQPTdgWr
— nakaji. (@m_nakaji_sake) March 22, 2020
三井寿がグレた理由には、いくつかの理由が挙げられます。
- 理由①左膝の負傷
- 理由②ゴリ(赤木剛憲)の活躍
- 理由③理想と現実の差
では、それぞれ詳しくご紹介していきましょう。
三井寿がグレた理由①左膝の負傷
三井寿がグレた理由の1つ目は、左膝の負傷です。
ある日の練習中に三井寿は左膝を負傷し、インターハイ予選を前に入院生活を余儀なくされました。
順調に回復を見せていた三井寿でしたが、インターハイ予選に間に合わせたいという早る気持ちから無理に練習を再開したことで、再び怪我が悪化。
その結果、三井寿の怪我は完治ぜず、インターハイ予選への出場は叶いませんでした。
この左膝の負傷によって目標を失い、人生で初めての挫折を味わったことこそが、三井寿がグレた1番の理由と言えるでしょう。
三井寿がグレた理由②ゴリ(赤木剛憲)の活躍
三井寿がグレた理由の2つ目は、ライバルのゴリ(赤木剛憲)の活躍です。
湘北バスケ部に入部した当初のゴリ(赤木剛憲)は、ドリブルもフリースローも苦手など欠点が多く目立っていました。
三井寿とゴリ(赤木剛憲)の実力差は一目瞭然ではあったものの、メキメキと頭角を表すゴリ(赤木剛憲)に次第にライバル視を燃やしていったのです。
しかし、怪我を負った三井寿はチームで活躍するゴリ(赤木剛憲)を目の当たりにすると、彼に対しての思いがライバル視から嫉妬心へと変わっていきます。
これは単にバスケができているからの嫉妬ではなく、秘めた才能を開花させて活躍するゴリ(赤木剛憲)に対しての嫉妬なのでしょう。
三井寿はインターハイ予選を観戦して以来、バスケ部に現れなくなっていることからも、ゴリ(赤木剛憲)への嫉妬心は三井寿がグレた理由へと繋がっていると考えられます。
三井寿がグレた理由③理想と現実の差
三井寿がグレた理由の3つ目は、思い描いていた理想と現実の差です。
三井寿が思い描いていた理想とは、恩師の安西監督率いる湘北バスケ部でインターハイ優勝することでしょう。
三井寿はその時の恩返しをすべく、湘北バスケ部に入部しました。
ところが三井寿を待ち受けていた現実は、予期せぬ怪我によってインターハイはおろかバスケットができないという事態。
安西監督の元で早く結果を出したいのにもかかわらず、それも叶わない状況に焦りを感じていきます。
安西監督に恩返しがしたいという並ならぬ思いでインターハイ優勝を目標に掲げていたからこそ、三井寿は自身に起きた現実を受け入れられなかったのでしょう。
あまりにも理想とかけ離れた現実を受け入れることができなかったことが、三井寿がグレる理由へと繋がっていきました。
まとめ
スラダンなう!みっちーかっけぇよ! pic.twitter.com/4ez59fWjsz
— ひかる (@onichanhs) April 30, 2013
さて、今回はスラムダンクの三井寿がグレた理由や、なぜ不良になってしまったのかについてまとめてみました。
三井寿がグレた理由、なぜ不良になってしまったのかについては3つの理由が挙げられます。
- 理由①左膝の負傷
- 理由②ゴリ(赤木剛憲)の活躍
- 理由③理想と現実の差
こうして見てみると、三井寿はエースだったからこそ挫折を知らなかったため、左膝の負傷をきっかけに心が折れてしまったことがわかります。
1度は不良という道を逸れた三井寿でしたが、実はそれだけ繊細な人物であることもわかりますね。
こうして三井寿のバックグラウンドを知ると、またスラムダンクの楽しみ方が変わってくること間違いないでしょう。