作家・堀辰雄の体験をもとにした小説「風立ちぬ」をベースに、航空機設計に情熱を燃やした実在の人物、堀越二郎の夢と挫折、恋人の死を乗り越えて成功をつかむまでを詩情豊かに描きました。
そんな長編アニメーション映画「風立ちぬ」なのですが、その効果音について、これはもしかして人の声? 気持ち悪い、などの声があがっています。
それらしく聞こえるプロペラの音、地震の地響き、エンジン音、蒸気機関車の蒸気等、劇中のほとんどの効果音は人間の声を使っているらしく、不気味で気持ち悪いと感じる人が多いようです。
なぜ通常の効果音ではなく、人間の声を効果音として使ったのでしょうか。その理由はどうしてなのでしょう。
以下では、「風立ちぬ」の効果音が気持ち悪いと感じる理由を考えてみました。
「風立ちぬ」の効果音が気持ち悪いと感じる理由とは?
飛行機などの効果音を人間の声で作った🗣のが、本作の“聞きどころ”の一つ。収録は10人以下のスタッフで行ったそうですが、音響演出の笠松広司さんが想像していた以上に、声だけで「成立」していたそう。その後、実音も混ぜて音を作ったものもあるそうです#風立ちぬ #金曜ロードショー #スタジオジブリ pic.twitter.com/5kcLi0cdg3
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) August 27, 2021
上述したように、劇中ほとんどの効果音が人の声によるものであるため、私たちの身の回りに存在する無機質なものが生き物のように感じられてしまい、気持ち悪いと感じるのだと思われます。
飛行機のエンジン、プロペラ、蒸気機関車、それらがまるで得体の知れない未知の何者かによって人間が飛行機や蒸気機関車に姿を変えられたかのような、不気味な印象をもたらすのでしょう。
地震のシーンが怖い、という意見があるのも同じ理由からで、地震の怖さというよりは、生命を持った地表が襲い掛かる不気味な恐怖といったほうがいいようです。
風立ちぬの効果音が人の声なのはなぜ?
本作では、飛行機や地震関連の音が人の声で表現されています。音響演出の笠松広司が口に出した声を加工して効果音にしています。#風立ちぬ pic.twitter.com/7PPLgi6yN2
— キャッスル (@castle_gtm) April 12, 2019
そもそも、なぜ「風立ちぬ」の効果音が人の声なのか、理由を3つ挙げてみました。
- 理由① 効果音のリアリティーを追求するのは無意味
- 理由② 人の声による効果音への挑戦
- 理由③ 本物の音かどうかではなく、それらしく聞こえることが大事
理由①から③について、それぞれ詳しく見ていきましよう。
理由①効果音のリアリティーを追求するのは無意味
宮崎駿監督はリアリティーへのこだわりといったものはあまり持っていないようですね。
効果音を人の声にしたことに対しては、かならずしも“リアルな音”を追求することに意味はない、との姿勢から人の声になったようです。
理由② 人の声による効果音への挑戦
鈴木敏夫プロデューサーは、
「本作は音にこだわった作品になった」
と述べていて、戦闘機の音や地震なども人の声になったことについては、宮崎駿監督の発案であったことを明かしています。
それについては、本物の音を追求するあまり神経質になりすぎて、それならいっそ、すべて人の声にしようということになったようです。
理由③本物の音かどうかではなく、それらしく聞こえることが大事
鈴木プロデューサーはこんなことも言っています。
「本物の音を再現することにどれだけの意味があるのか。大事なのはそれらしく聞こえること。そうしたら宮さん(宮崎監督)が声で効果音をやろうって言うから、賛成したんです。」
出典 : マイナビニュース
映画が作り物である以上、時代劇などで人が斬られるシーンで、まさか本当に人を斬った音を挿入することはないわけで、昔であれば、キャベツをザクッと切った音を入れたりしていました。
本物の音を追求するというよりは、それらしい音でいいんじゃないか、といった発想があったようです。
まとめ
引用 : スタジオジブリの作品
以上、「風立ちぬ」の効果音が気持ち悪いと感じる理由について、それぞれ見てきましたが、いかがだったでしょうか。
- 理由① 効果音のリアリティーを追求するのは無意味。
- 理由② 人の声による効果音への挑戦。
- 理由③ 本物の音かどうかではなく、それらしく聞こえることが大事。
3つの理由に共通しているのは、リアリティーをどこまで追求していくのか。
飛行機の音や地震の地響きだって人の声で十分に作れるのだから、それでいいじゃないか、といった発想でしょう。
実際、人の声で気持ち悪い、いった反応がある反面、人の声で作り出す効果音に感動した、といった好意的な声も聞かれました。
効果音にどこまでリアルさを求めるのか、それは映画にどこまでリアリティーを求めるのかといったことにもつながります。
レオナルド・ディカプリオが生肉を食べる「レヴェナント : 蘇えりし者」(2015年)。
また、本物の死体を使ったとされる、フランシス・F・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979年)など、監督や出演者の完璧主義によってリアリティーが追求される映画もあります。
もちろん、そこまでする必要があるのか、といった意見が出てくるのも当然のことでしょう。
そこまでやることによって、その作品の持つ怖さが実感できるといえるのも事実ですが、これも意見の分かれるところです。
「風立ちぬ」の、人の声による効果音について、筆者の感想としては、一部ですが違和感があったのは事実です。
人の声なので肉感的な響きがあり、無機質なはずのものが思考を持った生命体へと変化した感覚が伴いました。
その感覚が良いか悪いかは、やはり個人個人の見方、考え方に委ねられ、、それもまた映画を見る楽しみ方のひとつだと思います。
また、風立ちぬについて賛否両論あるようなので、その理由について考察しています。
>>風立ちぬの評価が別れる理由5選!なぜ賛否両論なのか徹底解説!